フィン・マックールとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フィン・マックールの意味・解説 

フィン・マックール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 09:31 UTC 版)

フィン・マックール(Fionn mac Cumhaill)はケルト神話に登場する、エリン(アイルランドの古い呼び名)の上王コーマックを守る、フィアナ騎士団の団長。レンスター国のバスクナ一族の生まれで、生来の名はデムナ(ディムナ)だったが、金髪で肌が白くて美しいことからフィン(色白の意)と呼ばれるようになった。


  1. ^ レンスターの祖神であり、伝説上の王。エタースケル英語版から上王の座を簒奪したが、後にエタースケルの息子コナレ・モールに殺害される。
  2. ^ クー・フーリンのライバルであるクー・ロイ・マク・ダーリやダ・デルガの館の崩壊の主人公コナレ・モール、後述の上王マックコンの先祖にあたる人物。
  3. ^ 百戦のコン英語版に仕えるドルイド。Tadgに彼の住処であるアルムの丘英語版に住むよう薦められたフィンはそれを受け入れたとされるが、フィンがTadgからアルムの丘を奪い取ったとする異文も残されている。
  4. ^ MacKillop 2004."Fionn mac Cumhaill"
  5. ^ ただし、ヌアザの血を継ぐ事は、少なくともそう主張する事についてはさほど珍しいこととも言えない。the royal society of antiquaries of Ireland (1921, p. 191)によればマンスターの王家はすべてヌアザの子孫だと称される。
  6. ^ 民俗学者パトリック・ケネディが収集したクヌハの戦いのあらましによれば、クールはこの時レンスター王だったがスコットランドに出兵・不在の隙をついて百戦のコンが養父クリウサンを新たなレンスター王に就任させたとされる。エオイン・マクニールは戦いの原因についてヌアドゥ・ネフトの末裔であるクリウサンとクールの間にレンスター王位の争いが根底にあったとしている。
  7. ^ ボーウァルはクール・マックトレンモーの姉妹であり、女ドルイドだった。また、武勇にも優れており、フィン詩歌集にはクールの死後、敗走する自軍の殿軍を務めて兄弟のクリムナルとともにゴル・マックモーナを相手に戦ったと記されている。
  8. ^ フィン詩歌集ではより具体的に、タルティウ英語版のルーナサ祭で行われていたハーリングに参加した時のことだとしており、見知らぬ少年をフィンと呼んで名付けてしまった族長は百戦のコン英語版としている。
  9. ^ ルグネの長アーリューはクヌハの戦いに参加しており、クール・マックトレンモーとはフィアナの主導権争いをしていた。なお、フィンが逃亡のため正体を隠して兵士として雇われていた時に雇用者であった王に正体を疑われたことがあったが、「ターラのルグネに属する農民の子」と答えて誤魔化している。
  10. ^ ムグ・ヌアザはヌアザのしもべを意味する。名の由来を説明する伝説は幾つかあるが、「砦の建設のために溝を掘っていたところ大きな石に行きあたってしまい労働者たちは困っていたのだが、若者が持ち上げて取り除いた」という大筋は一致している。その出来事から、石は力持ちのヌアザが持ち上げられなかったほどの大きさだったことにより、ヌアザのしもべと称されたとされる。あるいは若者の養い親のヌアザを讃えてそのような名で呼ばれるようになったともされる。
  11. ^ その後、エーラン王ネヴェドはマックコンが挙兵した際にマックコン軍に合流していた。しかしその後にコナラ・コーエムの子であるケアブリ三兄弟による敵討ちで討ち取られた。
  12. ^ 彼らはターラのルグネと呼ばれる人々である。百戦のコンに従って戦功を挙げたが、フィン・マックールはルグネを撃ち破ったことが"カハル大王の遺言状"で述べられている。また、"コーマックの教えとフィンの死"ではフィンがルグネの長アーリューを殺したと記されている。
  13. ^ フォサド・アルグデハはマックコンの息子であり、ガヴラの戦いで討ち死にしたケアブリに代わって上王となっていた。アルスター地方ラーンにあるオラーバ川の戦いで戦死した。その後の上王になったのはケアブリの息子フィアハである。
  14. ^ モンガーンは問題に直面しても未来を予知できるためにトリックスター的な役割を果たしている。そしていくつかの物語では上流階級・知識人をからかう傾向にある。この物語でも彼はフィンとしてフォサド・アルグデハと戦った当事者であるにもかかわらず素知らぬ顔で論争を吹っかけている。そのうえで真実を明かしてしまったキールタ・マクローナンに対してはフォーガルに悪いからと言葉を控えるように求めている。
  15. ^ スウィルナトの父フォサド・カナンはフィンとは不俱戴天の仇の間柄だった。彼女はフォサド・アルグデハの姪にあたる。フォサド三兄弟はマックコンの子にあたる。彼女はフィンについて角杯を使う時に死ぬと予言した。そのためフィンは角杯を避けていたが、地名に角杯という言葉が含まれる土地で水を飲んだ時に真実に気づき死期を悟った。
  16. ^ フィン・マックールの養母であり、妻でもあった。「古老たちの語らい」によれば盾持ち800人を育てている。地名由来の伝説では、ディルムッドの死の復讐で殺害されたと伝わる。
  17. ^ アダリーン・グラシーン英語版はこの知恵の鮭をフィンタン英語版の化身としている(ファーグノリ 1997, p. 161)。
  18. ^ カナ表記は三橋 (1985, p. 120)による。
  19. ^ MacKillop 2004."Find"
  20. ^ フィンはヌアザの子孫であるとされるが、グウィンはヌアザと同源の存在とされるシーズ・サウエレイント英語版の息子であるとされる。
  21. ^ a b マッカーナ 1991, p. 223.
  22. ^ マルカル 2001, p. 79.


「フィン・マックール」の続きの解説一覧


このページでは「ウィキペディア」からフィン・マックールを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からフィン・マックールを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からフィン・マックールを検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フィン・マックール」の関連用語

フィン・マックールのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フィン・マックールのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフィン・マックール (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS