マダガスカル前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 06:38 UTC 版)
「日本とマダガスカルの関係」の記事における「マダガスカル前史」の解説
16世紀ごろ、マダガスカルの中央高地にメリナ王国が誕生する。17世紀から18世紀には分裂と統一を繰り返すなど、弱小国であった。 19世紀前半、ラダマ1世の時代にはメリナ王国がほぼマダガスカルを統一。モーリシャスを介してイギリスと接触し、キリスト教宣教師の来訪やローマ字の伝来など、新たな技術や制度の導入が進む。 1883年、フランスは権益保護を名目としてマダガスカルに侵攻し、マダガスカルは敗戦して北部の港町アンツィラナナを割譲する。しかしフランスはマダガスカル全土を保護国化するべく侵攻を継続し、1896年には王室をレユニオン島に追放するなどしてメリナ王国を解体し、植民地化。
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