マダガスカルの木
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 15:32 UTC 版)
広く知られている中でもっとも古い食人木の報告は、いたずら (hoax) に端を発していた。1881年、ドイツ人探検家の自称カール・リッヒェ (Carl Liche) は「サウス・オーストラリアン・レジスター(英語版)」誌上に、マダガスカルの「ムコド」 (Mkodo) という部族によって行なわれていた人身御供に遭遇した、と書いている。 「蠢く細い蔓、飢えた大蛇の暴れ、彼女の頭の上まぎわで震わせて、突然彼女の手や首をぐるぐるに絡みつき悪魔のような本能で彼女を締め付け、悲鳴をあげるが、もっと恐ろしい笑い声が生じて、うめくように喉をならして再び閉め落とされた。後ろからは蔓は、巨大な緑色の大蛇のようにみえ、残忍なエネルギーにみちすばやく引っ込め、彼女を折りたたんで包まった。残酷なまでの引き締めを迅速かつ凶暴なアナコンダの粘り強い締め付けられ獲物となった」 1924年、元ミシガン州知事のチェイス・オズボーン (Chase Osborn) の書いた『Madagascar, Land of the Man-eating Tree』により、この木はさらに知れ渡った。オズボーンはマダガスカルの部族と宣教師双方にこの忌まわしい木について知っているか問いかけたうえ、リッヒェの報告を繰り返した。 しかし、1955年に科学ライターのウィリー・レイが著書『Salamanders and other Wonders』において、「ムコド」、「カール・リッヒェ」、マダガスカル食人木はすべて捏造だったと結論し、終了させた。
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