ポイント‐ペドロ【Point Pedro】
ポイント・ペドロ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/02 03:13 UTC 版)
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ポイント・ペドロ
பருத்தித்துறை
පේදුරු තුඩුව Point Pedro |
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![]()
サンディカ・アマン・パラムスワリ寺院
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座標:北緯9度49分0秒 東経80度14分0秒 / 北緯9.81667度 東経80.23333度 | |
国 | ![]() |
州 | 北部州 |
県 | ジャフナ県 |
面積 | |
• 合計 | 11.65km2 |
人口
(2011)
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• 合計 | 31,351人 |
等時帯 | UTC+5:30 (スリランカ標準時) |
ポイント・ペドロ(タミル語: பருத்தித்துறை, シンハラ語: පේදුරු තුඩුව, 英語: Point Pedro)はスリランカ北部州ジャフナ県の町。スリランカの最北端に位置する。
カルシウムの豊富な土壌(ラトソル)に囲まれているため、綿花の生産が盛ん。ポイント・ペドロの東海岸は幅3マイル、長さ20マイルに渡る砂浜となっており、砂丘の高さは100フィートに及ぶ。地下には豊富な水を含んだ帯水層が横たわっており、その量は10億リットルとも推定されている。2004年にはスマトラ島沖地震による津波で甚大な被害を受け、中には4フィートも水に浸かった場所もある。
内戦中は1990年代初めまで反政府組織タミル・イーラム解放のトラ(LTTE)の支配下にあったが、1995年に政府軍が奪回した。
地名の由来
地名はポルトガル語で「岩石質な岬」を意味する「ポンタ・デ・ペドラス」から[1]。タミル語での名前は「木綿海岸」という意味で、実際にこの海岸から南インドへ数百年の間木綿が輸出されていた[2]。
歴史
植民地時代には貿易港として発展し、ポイント・ペドロ周辺に住む人々は「船乗り」を意味するサンバンガラールと呼ばれた。
ポルトガル統治時代
16世紀初めから17世紀半ばまでのポルトガル領時代には、複数のカトリック教会が建設された。
オランダ統治時代
17世紀に入るとオランダ領となり、オランダから宣教師が派遣されてきた。彼らの多くはジャフナに定住した。
脚注
- ^ Tennent, Sir James Emerson (1860) (英語). Ceylon: An Account of the Island, Physical, Historical, and Topographical, with Notices of Its Natural History, Antiquities and Productions. Longman, Green, Longman, and Roberts. pp. 535 . "point pedro."
- ^ Sivasubramaniam, K. (2009) (英語). Fisheries in Sri Lanka: anthropological and biological aspects. Kumaran Book House. pp. 261. ISBN 9789556591460
外部リンク
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