ホーイとシュネーダー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/29 06:57 UTC 版)
「ウィリアム・エドウィン・ホーイ」の記事における「ホーイとシュネーダー」の解説
1918年(大正8年)3月1日、仙台市の中心部を焼き尽くた大火によって、かけがえのない中学部の建物が完全に灰となった。中学部が燃え落ちる絶望の中でシュネーダーは緊張と憔悴とで崩れ落ちる。 中学部はシュネーダーにとって、働き盛りの労苦に満ちた長い年月の成果の全てであった。生徒たちはシュネーダーを連れ戻した。シュネーダーは祈る。「神が将来への望みと勇気をお与えくださるように」と。 最も尊かったのはウイリアム・ホーイ博士からの寄付であった。この東北学院の創設者の一人は、次のような言葉を添えて、百ドルの献金を送って来た。 「東北学院設立の第一年目に、誰の助けも借りないでその基をたずさえた労苦は、なにびとにも十全には知り得ないところでありましょう。東北学院が今回の大火のごとき災難に見舞わた時、この献金を捧げますのは、かの設立の精神を込めてであります」
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