ホプキンソンの手紙と反応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/23 09:35 UTC 版)
「フランシス・ホプキンソン」の記事における「ホプキンソンの手紙と反応」の解説
1780年5月25日、ホプキンソンは大陸海軍局宛てにここ3年間で完成した幾つかの愛国的なデザインに関する手紙を書いた。1つは海軍局の紋章であり、青の地に赤と白の縞模様の楯を描いていた。他のものは財務局の紋章「大陸通貨のための7つの工夫」、および「アメリカ合衆国の国旗」であった。 この手紙でホプキンソンはこれらのデザインについて求償しなかったが、現在は報酬「公的なワインの4分の1樽」を求めていると書いた。海軍局はこの手紙を大陸会議に送った。ホプキンソンは6月14日にその「絵と工夫」について別の請求書を送付した。リストに挙げられていた最初の項目は「アメリカ合衆国海軍旗」であった。その価格は9ポンドだった。 財務局は1780年10月27日の大陸会議に対する報告書でこの要求を却下した。財務局はこの行動に幾つかの理由を挙げた。その一つは、ホプキンソンが「これら創造物に相談を受けた唯一の人物ではないこと、それ故に一人だけ利益を受ける主張はできないこと、および全体に関わる主張をする資格がないこと」が挙げられていた。 さらに、ホプキンソンの箇条書きした請求書はアメリカの国旗を作るときにあった唯一当時の主張である。その当時から「ホプキンソン旗」は存在しないが、その旗には13本の赤と白の縞模様があり、青地に13の白い星が対称的に配置されていたと信じられている。
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