ホタ・アラゴネーサによる華麗な奇想曲とは? わかりやすく解説

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ホタ・アラゴネーサによる華麗な奇想曲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/06 19:57 UTC 版)

音楽・音声外部リンク
全曲を試聴
Spanish Overture No. 1 "Capriccio Brilliante on the Jota Aragonesa" - エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮ソヴィエト国立交響楽団の演奏、ZVONKO Digital提供のYouTubeアートトラック。
Glinka: Jota aragonesa - ネヴィル・マリナー指揮シュターツカペレ・ドレスデンの演奏、Universal Music Group提供のYouTubeアートトラック。
ニコライ・リムスキー=コルサコフアレクサンドル・グラズノフによる校訂版の楽譜表紙(1901年

ホタ・アラゴネーサによる華麗な奇想曲』(ホタ・アラゴネーサによるかれいなきそうきょく、フランス語: Caprice brillant sur le thème de la Jota aragonesaロシア語: Блестящее каприччио на тему арагонской хоты)は、ミハイル・グリンカが1845年に作曲した管弦楽曲スペインアラゴン地方のホタを主題に使用している。スペイン序曲第1番『ホタ・アラゴネーサ』(Испанская увертюра № 1 «Арагонская Хота»)の題でも知られる。

演奏時間は約9分[1]

作曲の経緯

1842年の『ルスランとリュドミラ』が不評に終わり、また妻との離婚訴訟が難航したこともあり、嫌気が指したグリンカは1844年にパリに出た[1]。ここでグリンカはベルリオーズと知りあい、ベルリオーズはグリンカの曲を高く評価して自らの演奏会で取りあげた[2]。グリンカの側でもベルリオーズから影響を受け、『ハンガリー行進曲』や『ローマの謝肉祭』の例をもとに、自分でも民族的な特徴を持った管弦楽作品を書こうとした[2]

1845年にグリンカはスペインを旅行し、主にマドリードに住んだ[1]バリャドリッドを訪問したときに聞いたギター演奏によるホタをもとに、マドリードに戻ってから作曲された[1]

グリンカは1847年にいったんロシアに帰国するが、翌1848年にワルシャワ総督イヴァン・パスケヴィチ英語版公爵のもとに滞在した[3]。『ホタ・アラゴネーサによる華麗な奇想曲』はここで公爵の楽団によって演奏されたと考えられている[1]

その後グリンカは曲に改訂をほどこした。改訂版は1850年3月15日にサンクト・ペテルブルグのフィルハーモニー協会の慈善演奏会でカール・アルブレヒト英語版の指揮により『カマリンスカヤ』とともに初演された[1]

グリンカはワルシャワ滞在中の1848年にスペイン音楽を題材にしたもう1つの管弦楽曲『カスティーリャの思い出』を作曲していたが、1851年にこの曲を改訂した時にスペイン序曲第2番『マドリードの夏の夜の思い出』と改題し、『ホタ・アラゴネーサによる華麗な奇想曲』はそれに合わせてスペイン序曲第1番『ホタ・アラゴネーサ』になった[2]

グリンカ没後の1858年ごろ、妹のリュドミラ・シェスタコヴァによって編集されてフランツ・リストへの献辞を加えたスコアがライプツィヒのC.F.W. Siegel社から出版された[4]

同じ旋律はリストのピアノ曲『スペインの歌による演奏会用大幻想曲』(1845年)および『スペイン狂詩曲』(1858年)、ゴットシャルクのピアノ曲『ホタ・アラゴネーサ』(1852年)、サン=サーンスの管弦楽曲『ホタ・アラゴネーサ』作品64(1880年)など多くの作曲家が使用しているが、グリンカの曲はその中でも年代の早いものの一つである。

楽器編成

当時のロシアの管弦楽編成としては大きく、4本のホルン、オフィクレイド、ハープなどの楽器を使用しているのはベルリオーズからの影響と考えられる[5]。ハープと弦楽器のピッツィカートによってギターを模倣している[2]

曲の構成

序奏とコーダを持つソナタ形式で書かれている。

  • 序奏部分はグラーヴェ、変ホ長調44拍子で、金管楽器によるファンファーレにはじまる[6]
  • 主部(ホタ・アラゴネーサ)はアレグロ 34拍子で唐突に始まる。2つの旋律が交代に出現するが、最初は主旋律がヴァイオリン独奏とハープにより、ついで第2旋律が木管楽器によって演奏される。主旋律が3回めに登場した後に展開部にはいり、序奏のファンファーレが主旋律に組みこまれる[6]。第2旋律がくり返されてもり上がった後再現部にはいり、全奏によって華やかに終わる。
音楽・音声外部リンク
全曲を試聴
(バラキレフ編曲のピアノ独奏版)
Jota Aragonesca (arr. by Mily Balakirev) - アレクサンダー・パレイフランス語版(ピアノ)の演奏、Kontor New Media提供のYouTubeアートトラック。

編曲・使用

バラキレフは1862年にグリンカの『ホタ・アラゴネーサ』をピアノ用に編曲している。独奏版と連弾版がある。

1916年1月29日にサンクト・ペテルブルグでミハイル・フォーキンの振付による『ホタ・アラゴネーサ』のバレエが上演された[7]:55-56

脚注

  1. ^ a b c d e f 井上 1980, pp. 326–327.
  2. ^ a b c d マース 2006, pp. 46–47.
  3. ^ 井上 1980, pp. 329–330.
  4. ^ Испанская увертюра № 1. Арагонская охота, ロシア国立図書館(РНБ)バーチャル展覧会, https://expositions.nlr.ru/ex_manus/Glinka/ispansky_uvertyuri.php 
  5. ^ 井上 1980, p. 327.
  6. ^ a b 井上 1980, pp. 327–329.
  7. ^ Sokolov-Kaminsky, Arkady (1992). “Mikhail Fokine in St. Petersburg 1912-18”. Dance Research: The Journal of the Society for Dance Research 10 (1): 53-58. JSTOR 1290698. 

参考文献

  • 井上和男「ホタ・アラゴネーサによる華麗な奇想曲」『最新名曲解説全集』 4巻、音楽之友社、1980年。ISBN 4276010047 
  • フランシス・マース 著、森田稔・梅津紀雄・中田朱美 訳『ロシア音楽史―《カマーリンスカヤ》から《バービイ・ヤール》まで』春秋社、2006年。 ISBN 4393930193 

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