ヘンダーソン湾の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/02 03:15 UTC 版)
「第二次サケッツ港の戦い」の記事における「ヘンダーソン湾の戦い」の解説
イギリス軍は5月27日遅くに出発し、翌朝早くにサケッツ港の沖に到着した。風がかなり弱かったので、ヨーが船を岸に近づけさせようとしても難しかった。水深など土地の条件にも不慣れだった。5月28日の正午少し前、陸兵がボートを漕いで岸に向かい始めたが、このとき見慣れない帆船が遠くに視認された。それらがチョウンシーの戦隊であった場合に備えて、攻撃は中断され、陸兵は船に戻った。その見知らぬ帆船はオスウィゴからアメリカ第9および第21連隊の部隊を乗せてサケッツ港に向かう12隻の平底船に属していることが分かった。イギリス軍はインディアン戦士で一杯の大型カヌー3隻とグレンガリー軽装歩兵の分遣隊を乗せた砲艦1隻を派遣して、その部隊の妨害に向かわせた。 イギリス軍はヘンダーソン湾のストーニーポイント沖でその船団を迎え撃った。イギリス軍が砲撃を始めると、ほとんど新兵ばかりだったアメリカ軍は平底船をストーニーポイントに着けて上陸し、森の中に逃亡した。インディアンが木々の間を抜けて追跡し、彼らを追い詰めた。半時間後にはアメリカ兵の35名が殺され、残った者達は船に戻って白旗を揚げた。アメリカ軍から上級士官がボートでヨーの戦隊に漕ぎ寄せ、残っていた士官兵卒合わせて115名の部隊が降伏した。アメリカ兵の7名のみが逃亡し、サケッツ港まで辿り着いた。
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