プレイオフ1回戦の壁
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 13:42 UTC 版)
「クライド・ドレクスラー」の記事における「プレイオフ1回戦の壁」の解説
ドレクスラーが入団した頃、チームは毎年のようにプレイオフに進出していたが、1984-85シーズンを除いてなかなかプレイオフ1回戦を突破することができなかった。ドレクスラーは1985-86シーズン、1試合平均18.5得点、8.0アシスト、2.63スティール、トリプルダブル4回を記録して、オールスターにも選出されたがプレイオフではデンバー・ナゲッツに1勝3敗で敗退した。 1986-87シーズン、彼は当時のスーパースター、ラリー・バード、マジック・ジョンソンの2人しか達成していなかった平均21得点(21.7)、6リバウンド以上(6.3)、6アシスト以上(6.9)以上を達成、2人のスーパースターと肩を並べる成績を残す。大学時代のチームメイト、オラジュワンを擁するヒューストン・ロケッツとプレイオフ1回戦で対戦、平均24.0得点をたたき出したがまたも敗退した。 1987-88シーズン、チーム歴代記録の年間2,185得点を達成、NBAプレーヤー・オブ・ザ・ウイークに3度、オールNBA2ndチームにも選出、その年のオールスターゲームでは15分間の出場で12点、5リバウンドを記録した。レギュラーシーズンの平均スコアも前年より5点多い27.00得点を記録。すばらしい成績を残したレギュラーシーズンとは対照的に、プレイオフでは振るわずフィールドゴール成功率は.386と絶不調。ユタ・ジャズに1勝3敗で敗れてまたもや1回戦で姿を消すこととなった。 1988-89シーズンもレギュラーシーズンは前年同様の活躍を見せた。オールスターゲームにも選出され、14得点、12リバウンドを記録。その年のプレイオフはロサンゼルス・レイカーズを相手に前年の汚名をそそぐかのようなプレイを披露、平均27.7得点をたたき出すも、またもや3連敗で敗退し地元のファン・メディアはがっかりした。 4年連続レギュラーシーズン中、素晴らしい成績を残し続けてきたドレクスラーだったが、プレイオフを勝ち上がれなかったためなかなか高い評価を受けることはなかった。
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