プレアヴィヒア紛争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/01 03:55 UTC 版)
詳細は「タイとカンボジアの国境紛争」を参照 「プレア・ビヘア寺院事件」も参照 タイとカンボジアの国境地域に位置するプレアヴィヒア寺院(プラーサート・プラウィハーン)遺跡が2008年7月、カンボジアにより国際連合教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)の世界遺産に登録されたことから、この寺院遺跡のある高台一帯を巡るタイとカンボジアの領域紛争が再燃した。両国軍が国境地域で対峙し、2008年10月より散発した戦闘による死傷者は数十人におよんだ。2009年6月に首相アピシットがプレアヴィヒア寺院の世界遺産登録の見直しを求めたほか、2010年にはさらに紛争地域が拡大した。この2010年に後の首相となるプラユット・チャンオチャが陸軍司令官に就任している。2011年7月、国際司法裁判所(英: International Court of Justice、略称: ICJ)が国境地域からの撤退を両国に命じ、インラックが首相に就任した後、同年12月、両国は同時撤退に合意した。その後、2013年11月に国際司法裁判所が1962年に次ぎ、プレアヴィヒア寺院一帯をカンボジア領としたことにより、一応の治まりを見せた。
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