プルマンとワゴン・リ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/27 19:25 UTC 版)
「黄金の矢 (列車)」の記事における「プルマンとワゴン・リ」の解説
アメリカ合衆国発祥のプルマン社は、1871年イギリスに現地法人(ブリティッシュ・プルマン)を設立して列車の運行事業を始め、1872年には大陸ヨーロッパにも進出していた。一方同じ1872年にベルギーでは、プルマンの事業にヒントを得た国際寝台車会社(ワゴン・リ社)が創業された。ワゴン・リ社は一時マン・ブドワール寝台車会社に買収された後、1876年に再度設立されている。両社は激しい競争を繰り広げたが、1886年の協定でプルマン社は大陸ヨーロッパから撤退し、車両と列車の運行権をワゴン・リ社に売却した。 イギリスのプルマン社は1907年にアメリカの会社と分離された。プルマンとワゴン・リの両社は1907年、1923年にも協定を結んで協力関係を深めた。1924年には、プルマン社長のダヴィソン・ダルジールがワゴン・リ社の取締役会長を兼ねた。 当時ワゴン・リ社が運行していた車両は寝台車と食堂車のみであったが、プルマン社では昼行列車用のサロン車も保有していた。1925年以降、ダルジールの方針によりワゴン・リ社でも同様の客車を連結した昼行列車を運行するようになった。なお1923年の契約により、こうした車両を「プルマン車(voiture Pullman)」と呼ぶことが認められていた。
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