ブルックリン移籍以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 20:37 UTC 版)
「エド・ロイルバック」の記事における「ブルックリン移籍以後」の解説
ブルックリンに移籍したロイルバックは、1913年の残りシーズンを7勝6敗、防御率2.05の成績で終え、彼がまだ充分好投できることを証明した。次の年の1914年、フェデラル・リーグ発足に伴ってブルックリンの選手達は年俸アップの運動を起こし、ロイルバックはその先頭に立った。彼自身にもフェデラル・リーグから好条件でのオファーが来ていたのだが、最初はこれを断っていた。しかしブルックリンのオーナーだったチャーリー・エベッツは、この年のオフに昇給運動の首謀者だったロイルバックを放出することを決め、ロイルバックは結局フェデラル・リーグのニューアークでプレーすることになる。 1915年のフェデラル・リーグで、ロイルバックは21勝を挙げる活躍をしたが、同年リーグが解体され再びナショナルリーグへ戻る。1916年にはボストン・ブレーブスに所属したが、翌1917年の7月にブレーブスから放出され、そのまま選手を引退した。 実はロイルバックは左目の視力が弱く遠近感がとりにくかったため、時折途方もない暴投をしたりすることもあったのだが、彼はそのことをずっとチームメイトにも明かさなかったそうである。
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