ブルガリアとの戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/28 03:10 UTC 版)
「トミスラヴ (クロアチア王)」の記事における「ブルガリアとの戦争」の解説
トミスラヴの在位中、ブルガリアとビザンツは交戦状態にあった。942年にブルガリアはビザンツの同盟国であるセルビア公国を攻撃し、セルビア公子ザハリヤと彼が率いるセルビア人の一団がクロアチアに亡命する。クロアチアはセルビアと同様にビザンツと同盟関係にあり、ブルガリアとビザンツの支配力が低下したテマ・ダルマチア間に位置していた。トミスラヴはビザンツからテマ・ダルマチアの海岸部の都市の支配権を何らかの形で与えられ、ビザンツの支援のために徴税を担っていたと考えられている。ビザンツはトミスラヴにプロコンスルの称号を与えたが、テマ・ダルマチアの権利そのものを放棄した形跡は確認されていない。 クロアチアがブルガリアと敵対し、ビザンツと同盟を結んだ後、シメオン1世はクロアチアへの攻撃を決定した。トミスラヴは進軍するブルガリア軍を迎撃し、926年にボスニア東部で発生した戦闘でブルガリア軍を壊滅させる。927年にシメオン1世が没した後、ヨハネス10世は特使を派遣してクロアチアとブルガリアの間を取り持ち、両国の間に平和が戻った。 トミスラヴがどのような晩年を送ったのかはわかっていないが、928年以降政治の舞台から姿を消し、トルピミル2世(英語版)が王位を継承した。
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