フランス保護領トンキン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 19:04 UTC 版)
詳細は「フランス保護領トンキン(フランス語版)」を参照 フエ(順化)の阮朝宮廷は1883年に癸未条約(アルマン条約)を締結して、本来アンナン(安南)に属するタインホア(清化)、ゲアン(乂安)、ハティン(河靜)の3省をトンキンに編入し、トンキン地方をフランスの保護領と認めざるを得なかった。フエの宮廷はトンキンに副王を派遣して地方行政を管理させ、フランスがトンキン理事官を付けて監視させる体制である。さらに1884年の甲申条約(パトノートル条約)で省レベルの行政は実質的にフランス人がコントロールすることとなった。このようなフランスの侵略は清朝の軍事介入を招き(清仏戦争、1884年 - 1885年)、トンキン地方は戦火に見舞われることとなる。
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