フランスの領土議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 02:24 UTC 版)
「フランス領チャド」の記事における「フランスの領土議会」の解説
第二次世界大戦が終わると、フランスの有権者はエブエらの進歩的な考えの多くを否定した。それにもかかわらず、1946年に承認された憲法では、チャドをはじめとするアフリカの植民地に、限られた権限を持つ領土議会を選出する権利が認められた。議会は、全AEFのフランス総評議会への代表者を選出したのである。総督は高等弁務官に改称され、各領土は国民議会、共和国評議会、フランス連合議会などのフランス議会の代表者を選出する権利を得たのである。アフリカの人々はフランス国籍を持つ市民になり、植民地はフランスの海外領土(英語版)となったのである。1946年の改革により、チャドではヨーロッパ人が投票する大学と、アフリカ人が投票するcollège des autochthonesの2つの大学の存在が認められた。AEFの運営は引き続きフランス人が中心であった。1955年以前に、チャドのアフリカ人を公務員として育成する正式な試みは行われなかった。1946年の改革により強制労働は廃止された。
※この「フランスの領土議会」の解説は、「フランス領チャド」の解説の一部です。
「フランスの領土議会」を含む「フランス領チャド」の記事については、「フランス領チャド」の概要を参照ください。
- フランスの領土議会のページへのリンク