フィールーズアーバードとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > フィールーズアーバードの意味・解説 

フィールーズアーバード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/24 00:53 UTC 版)

ファールス地方のサーサーン朝考古景観」の記事における「フィールーズアーバード」の解説

フィールーズアーバード(英語版)は、シーラーズ南方位置する町。フィールーザーバード、フィルーザーバード、フィルザーバードなどとも表記されるサーサーン朝初代の王であるアルダシール1世在位224年 - 243年)が首都としていたことがあり、彼が建てた建造物群が残る。5件の構成資産は、いずれも戦略的な要地だった Tang-i Ab渓谷周辺位置する。 ドフタル城(ガルエ・ドフタル)(乙女の城)は209年渓谷北端にあたる断崖の上築かれ城塞で、サーサーン朝建国前アルダシールパルティアとの戦い目的建てたのである王権象徴授与されるアルダシール1世レリーフは、サーサーン朝国教とされたゾロアスター教の神アフラ・マズダーから、王権象徴授けられる場面描かれている。このレリーフ渓谷右岸刻まれており、7m x 3.7mの大きさである。なお、同様のモチーフ描いたレリーフナクシェ・ロスタムとナクシェ・ラジャブ(英語版)にも見られるアルタバノス4世勝ったアルダシール1世レリーフは、アルダシール1世パルティア最後の王アルタバノス4世破った際の戦勝記念碑である。渓谷南端位置するそのレリーフサイズは幅18m、高さ4mで、現存するレリーフとしてはイラン最大である。 シャフレ・グール(アルダシールフルラ)はアルダシール1世築いた円形都市で、現在のフィールーズアーバード市からは3km離れている。直径は1950mで、イランでは最初円形都市とされる中心部には行政祭祀に関する建物があり、アルダシール1世使った火の寺院推測されている遺構も残る。 アルダシール1世宮殿は、サーサーン朝王権樹立した後に建てられ宮殿のため、堅固な防壁備えていない。

※この「フィールーズアーバード」の解説は、「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」の解説の一部です。
「フィールーズアーバード」を含む「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」の記事については、「ファールス地方のサーサーン朝考古景観」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「フィールーズアーバード」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フィールーズアーバード」の関連用語

フィールーズアーバードのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フィールーズアーバードのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのファールス地方のサーサーン朝考古景観 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS