ファンダムでの活動
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「テッド・ホワイト」の記事における「ファンダムでの活動」の解説
10代のころからホワイトはSFのファンジンに寄稿しており、1968年にはヒューゴー賞ファンライター部門を受賞している。随筆家としての才能は "The Bet" にも現れている。これは、後に音楽評論家となったリンダ・ソロモンの所有するあるレコードについて、ホワイトとハーラン・エリスンが賭けをし、ホワイトの持つ1枚のレコードとエリスンのレコードのコレクション全体を賭けたという1960年の出来事を回想したものである。 ホワイトはプロの作家だが、ファンダム活動における業績が何よりも自分にとって意味があると主張している。1953年、ホワイトは初めてのファンジン Zip を編集・出版し、その後も多数のファンジンを出版した。1956年から1957年には Larry Stark と共に Stellar を編集し、1960年にはグレゴリー・ベンフォードらの Void の編集に参加し、他にも Minac、Egoboo といったファンジンを出版している。他のSFファンのファンジン編集を助ける傍ら、Yandro と Richard E. Geis の Psychotic/SF Review に定期的にコラムを連載していた。イベント活動にも積極的に関与し、1967年にニューヨークで開催されたワールドコンでは主催者の1人として働いた。2010年現在も、ファンダムやファンジン関連のメーリングリストで活発に発言している。
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