ピーター・テラベイネン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/15 14:05 UTC 版)
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基本情報 | ||||
生誕 | 1956年4月23日(69歳) | |||
国籍 | ![]() |
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出身地 | アメリカ合衆国マサチューセッツ州ダックスベリー(プリマス生まれ) |
ピーター・テラベイネン(Peter Teravainen、1956年4月23日 - )は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ダックスベリー出身[1] (プリマス生まれ)のプロゴルファー。
来歴
高校の体育部長兼バスケットボールコーチの父と看護師であった母の下に4人兄弟の1人として生まれた。
奨学金を得てイェール大学に進学し、イェール・ブルドッグスのゴルフチームではスコットランド出身のデビッド・パターソンコーチの指導を受ける[1]。2年次の1976年にマサチューセッツアマでブルース・ダグラスの2位となり、3年次の1977年と4年次の1978年にはニューイングランド大学選手権・アイビーリーグ個人戦・サウスイースタンアマチュアを連覇[2] [3]。チームのキャプテンを務めた1978年にはウィメット・メモリアル・トーナメントで優勝し[4]、1976年から1978年まで3年連続でオールアメリカンに選ばれた[1]。
1978年に経済学の学位を取得して卒業し、 冬季はベルビュービルトモアホテルでカクテルウェイターとして過ごし、フロリダでアーブ・シュロスからレッスンを受けた後、パターソンの励ましもあり、1979年にプロとなる[1]。
1980年にはPGAツアーに挑戦するが約1000ドルしか稼げず、その後はアジアやヨーロッパ、オーストラリアでプレー[5]。30余りの国を転戦し、真摯な仏教徒の中国人を妻にし、家庭はシンガポールにあった[6]。
1995年にチェコオープンで欧州初優勝を飾ると、1996年には日本オープンに特別推薦枠で初出場し、3日目には首位のフランキー・ミノザ(フィリピン)と4打差の3位に着ける[5]。最終日には最終組の前を回って1番から3連続バーディーとスタートダッシュを決めると、最終組のミノザに2、5番でバーディーと応戦され、テラベイネンは5、8番でボギーを叩く[5]。ミノザは6番ボギーでアウトは共に1アンダーの34で両者の差は4打のままであったが、インに入ると大きく試合が動く[5]。テラベイネンが11、13番でバーディーを奪うと、ミノザは11、13番でボギーを叩き、両者が並ぶ[5]。14番ではミノザにバーディーを決められて再びリードされたが、ミノザが16、17番を連続ボギーとし、テラベイネンが14番以降はパーを重ねて逆転[5]。18番パー5をパーとしたテラベイネンが通算2アンダーで先にホールアウトし、ミノザはプレーオフへの望みをかけたラフからの3打目が池に消えた瞬間、テラベイネンの勝利が確定[5]。初出場で4打差逆転での日本初優勝を決め[5]、終わった翌日の朝刊各紙は「無名の米国人プロ、ピーター・テラベイネン優勝」と書いた[6]。
シンガポールに帰国後はアジアンツアー・マーライオンマスターズでゾウ・モウ(ミャンマー)をプレーオフで下した。
1997年のデサントクラシックでは2日目にインからスタートし、ボギー先行のプレーであったが18番でイーグルを奪うと、気分を良くして1、3、4、5番とバーディーを連取して首位に立つ[7]。雨の3日目も33、34でホールアウトし、初日から4アンダーを続けて首位を守った[8]。最終日も風まじりの雨の中[9]で69をマークし、3日連続67を含む4日間60台で2日目からは首位を譲らず[10]、2打差で逃げ切った[9]。
日本での成績
- 1996年 - 日本オープン
- 1997年 - デサントクラシック マンシングウェアカップ
脚注
- ^ a b c d “Yale Golf History – Peter Teravainen”. campuspress.yale.edu. 2019年6月15日閲覧。
- ^ Sidorsky, Robert (1978年4月17日). “Golfers Flag, Falter in Ivy Tournament”. The Harvard Crimson 2019年6月15日閲覧。
- ^ “Southeasternam Golf Tournament”. 2018年8月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年6月15日閲覧。
- ^ “Ouimet Memorial Past Champions”. MassGolf.com. 2019年6月15日閲覧。
- ^ a b c d e f g h “第61回日本オープンゴルフ選手権(1996年) | 日本プロゴルフ殿堂”. www.golfdendou.jp. 2025年6月14日閲覧。
- ^ a b “【第1回】ゴルファーは渡り鳥である ~日本~(1) | マイナビブックス”. book.mynavi.jp. 2025年6月15日閲覧。
- ^ “でたぞ、テラベイネン、上位は外国勢が独占? 【国内男子ツアー JGTO】 |GDO ゴルフダイジェスト・オンライン”. news.golfdigest.co.jp. 2025年6月15日閲覧。
- ^ “でテラベイネン、首位を堅守。ハミルトンが追う 【国内男子ツアー JGTO】 |GDO ゴルフダイジェスト・オンライン”. news.golfdigest.co.jp. 2025年6月15日閲覧。
- ^ a b “やはり強かった!テラベイネン、 2打差で逃げきる 【国内男子ツアー JGTO】 |GDO ゴルフダイジェスト・オンライン”. news.golfdigest.co.jp. 2025年6月15日閲覧。
- ^ “ピーター・テラベイネン選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site of JAPAN GOLF TOUR”. www.jgto.org. 2025年6月13日閲覧。
関連項目
外部リンク
- ピーター・テラベイネン - 日本ゴルフツアー機構のプロフィール
- ピーター・テラベイネンのページへのリンク