ピーター・グリーンとミック・フリートウッド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/02 08:40 UTC 版)
「ジョン・マクヴィー」の記事における「ピーター・グリーンとミック・フリートウッド」の解説
1966年、若き日のピーター・グリーンはジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズの新しいリードギタリストとして参加するように要請された。オリジナルのギタープレイヤーであるエリック・クラプトンがバンドを出て行ってしまったのである。ピーター・グリーンの加入はミック・フリートウッドがエインズレー・ダンバーの代わりに新しいドラマーとなった時期と一致する。 グリーン、フリートウッド、マクヴィーはすぐに強い絆で結ばれ、ジョン・メイオールがグリーンの誕生日にスタジオを自由に使える時間を与えると、グリーンはマクヴィーとフリートウッドにレコーディング・セッションを一緒に行うことを提案した。マイク・ヴァーノンのプロデュースで彼らは3曲を一緒に録音した。「Curly」、「Rubber Duck」、そして「Fleetwood Mac」と呼ばれたインストゥルメンタルである。同じ年の終わりにミック・テイラーがブルースブレイカーズで後釜に座ってから、ピーター・グリーンは自身のバンドを結成することを選択する。バンドの事を彼は「フリートウッド・マック」と呼んでいたが、それは彼が好んだリズムセクション(マクヴィーとフリートウッド)のことである。ミック・フリートウッドはすぐにグリーンの新しいバンドに参加した。酒浸りのためにブルースブレイカーズから脱退させられていたのだ。一方、マクヴィーは最初フリートウッド・マックに参加することに気乗りしていなかった。仕事が保証されていて良い給料のブルースブレイカーズの仕事を捨てたくなかったからだ。グリーンは一時的にベーシストのボブ・ブランニングを雇わざるを得なかった。しかし数週間後、マクヴィーは考えを変えた。ブルースブレイカーズの音楽性がジャズに向きすぎていると彼は感じるようになったのだ。そして、彼はフリートウッド・マックにベーシストとして1967年12月に加入した。
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