ピットとフォックスの選挙戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/12 10:08 UTC 版)
「1784年イギリス総選挙」の記事における「ピットとフォックスの選挙戦」の解説
ピットとフォックス自身の選挙戦は注目を集めた。ピットは長らくケンブリッジ大学選挙区(英語版)で当選しようとし、1780年イギリス総選挙にも同選挙区で出馬したが敗北していた。1784年の選挙ではトップ当選を果たし、以降死去まで同選挙区の議員を務めた。 フォックスはウェストミンスター選挙区(英語版)(定員2名)の現職であり、有権者数が最も多い選挙区であった。彼が同選挙区にこだわったのは人民を代表していると主張したためであり、その議席を失うことは考えられなかった。1784年の選挙ではフォックスのほかにはピット派2人が立候補しており、与野党ともに中傷、名誉毀損など手を選ばず、デヴォンシャー公爵夫人ジョージアナは「フォックスに投票した者にもれなくキスを振る舞った」と噂され、王太子ジョージも選挙活動でフォックスを支持した。 5月17日に投票が終わると、フォックスは6,233票を得て第13代準男爵サー・セシル・レイ(英語版)(5,998票)に僅差で勝利したが、ピット派が投票再検査を要求したためフォックスの当選が決定しなかった。ウェストミンスターのような大きい選挙区では投票再検査に長い時間がかかり、フォックスは投票再検査を予想して、庶民院から締め出されないよう予めテイン・バーグズ選挙区(英語版)の議席を用意した(テイン・バーグズ選挙区では4月26日にフォックスの当選が宣言された)。投票再検査では予想通り大規模な選挙不正がみられず、時間がたつとともに政敵による遅滞戦術であることが明らかになった。1785年3月4日、庶民院はようやくフォックスの当選決定を命じ、投票再検査に終止符を打った。
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