ヒュパティア殺害事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 05:30 UTC 版)
「アレクサンドリアのキュリロス」の記事における「ヒュパティア殺害事件」の解説
エジプト長官オレステスは、アレクサンドリア図書館に勤務する女性哲学者ヒュパティアの政治的後援を享受していた。オレステスがヒュパティアとの関係を深めたのは、ユダヤ人とそうしたように、アレクサンドリアの異教徒のコミュニティーとの関係を強めて、アレクサンドリアの様々な政治的主体をよりよく操作するためといわれる。 ヒュパティアの影響によってオレステスがキュリロスからの和解の申し出を拒絶しているのだと考えたキリスト教徒がいた。415年3月、キリスト教徒の群集はパラバラネイスに先導されていたが、ヒュパティアを馬車から引きずりおろして、牡蠣の貝殻で肉体を削るという手段でむごたらしく殺し、彼女の遺体を切り刻んでその肉片を市壁の外で焼いた。オレステス派とキュリロス派の闘争の結果であった。キュリロスは、アレクサンドリア大学と対立することとなった。
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