ヒッポダメイアへの求婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/15 10:31 UTC 版)
その後ペロプスはシピュロスの王位を継いだが、トロイア王イーロスの勢力に押されてギリシアへ移った。ペロプスはオイノマーオスの娘ヒッポダメイアに求婚することにした。オイノマーオスはアレースの息子でピサの王だったが、「婿の手にかかって殺される」との神託を受けていた。そのためオイノマーオスはヒッポダメイアへの求婚者に、自分に勝ったら結婚を許すが負ければ殺すという条件で戦車競走をさせるようにしていた。オイノマーオスの戦車を牽く馬は父アレースから贈られたプシュラとハルピンナという名馬で、ヘルメースの息子ミュルティロスが御者を務めていたため、求婚者はオイノマーオスがゼウスの祭壇に生け贄と祈りを捧げる時間は先行することを許されたにもかかわらず、みな追いつかれて殺された。こうして、すでに12人とも13人ともいわれる犠牲者が出ていた。殺された者の遺体は、頭や手足を王宮の門に釘で打ち付けられ、胴体は地上に投げ出されて見せしめとされた。
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