パンプキン爆弾実戦投下地の一覧とは? わかりやすく解説

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パンプキン爆弾実戦投下地の一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/24 20:53 UTC 版)

パンプキン爆弾(パンプキンばくだん、かぼちゃ爆弾Pumpkin bomb)は、正式名称を「1万ポンド軽筒爆弾」(Light-case,10,000-pound weapons)[1]といい、、第二次世界大戦大東亜戦争 / 太平洋戦争)中にアメリカ軍が開発、使用した爆弾である 。1945年8月9日長崎に投下された原子爆弾(原爆)「ファットマン」の模擬爆弾として知られる[1]、ファットマンとほぼ同一の形状を有し、質量もファットマンとほぼ同一になるよう調整された模擬原爆で構造分類上での通常型爆弾コードネームである。弾体が橙黄色に塗装されていたことから「パンプキン」の名が使われた[1]。TNT火薬を主成分とした高性能爆薬を充填したタイプ、ともう1つはセメントや石膏を用いたコンクリート混合物が充填されたタイプの2種類があった[2]。原爆投下作戦に対する実戦訓練作戦と有効な事前データの採取に使用された。

パンプキン爆弾戦闘作戦

第509混成部隊は、1945年7月20日、23日、26日、29日、および8月8日と14日に、日本の都市における個別の攻撃目標に対して、高性能爆薬を充填した「パンプキン爆弾」を使用する実戦の戦闘作戦を実施した。これらの作戦において、合計49発の爆弾が14の攻撃目標に対して投下され、1発は海上に投棄され、2発は作戦中止により航空機に搭載されたままとなった[3][4]

各作戦のパラメータおよびプロトコルは、実際の原子爆弾投下作戦に準じて設定されており、目標はすべて原爆投下候補都市周辺に位置していた。爆弾は高度30,000フィート(約9,100メートル)から投下され、航空機は原爆投下時と同様に急旋回を行って退避した。戦後に実施された米国戦略爆撃調査団による評価によれば、パンプキン爆弾は、「重要な区域への直撃、あるいは重要建造物の構造に深刻な破壊を引き起こすほど十分に近い至近弾が得られた場合において、日本の工業施設に対して相応の効果を有する兵器であった」と結論付けられている[5]

「パンプキン爆弾」実戦投下の一覧 [6]
日付 攻撃目標[注 1] 航空機名 航空機番号 搭乗員 司令官(機長) 投下方法 日本の記録
1945年7月20日 富山 サム・プンキンズ英語版 44-27296 B-7 James N. Price Jr. レーダー
1945年7月24日 大垣 サム・プンキンズ 44-27296 B-7 James N. Price Jr. レーダー
1945年7月26日 島田 サム・プンキンズ 44-27296 B-7 James N. Price Jr. 目視 島田[7]
1945年8月8日 四日市 サム・プンキンズ 44-27296 B-7 James N. Price Jr. 目視
1945年8月14日 名古屋 サム・プンキンズ 44-27296 B-7 James N. Price Jr. 目視
1945年7月24日 福島 ボックスカー 44-27297 C-13 フレデリック C. ボック 目視
1945年7月26日 富山 ボックスカー 44-27297 C-15 チャールズ D. オルベリー レーダー
1945年7月29日 武蔵野 ボックスカー 44-27297 C-13 フレデリック C. ボック 目視
1945年7月20日 富山 フルハウス 44-27298 A-1 Ralph R. Taylor Jr. 目視
1945年7月24日 新居浜 フルハウス 44-27298 A-1 Ralph R. Taylor Jr. 目視
1945年7月26日 焼津 フルハウス 44-27298 A-1 Ralph R. Taylor Jr. レーダー 焼津[7]
1945年7月29日 宇部 フルハウス 44-27298 A-1 Ralph R. Taylor Jr. 目視
1945年8月14日 挙母(豊田 フルハウス 44-27298 C-13 フレデリック C. ボック[8] 目視
1945年7月20日 富山 ネクスト・オブジェクティブ英語版 44-27299 A-3 Ralph N. Devore 目視
1945年7月24日 新居浜 ネクスト・オブジェクティブ 44-27299 A-3 Ralph N. Devore 目視
1945年8月14日 名古屋 ネクスト・オブジェクティブ 44-27299 A-3 Ralph N. Devore 目視
1945年7月20日 福島 ストレンジ・カーゴ英語版 44-27300 C-13 フレデリック C. ボック レーダー
1945年7月24日 神戸 ストレンジ・カーゴ 44-27300 A-4 Joseph E. Westover 目視
1945年8月8日 敦賀 ストレンジ・カーゴ 44-27300 A-4 Joseph E. Westover 目視
1945年8月14日 名古屋 ストレンジ・カーゴ 44-27300 A-4 Joseph E. Westover 目視
1945年7月20日 東京 ストレート・フラッシュ 44-27301 C-11 クロード R. イーザリー レーダー
1945年7月24日 大津[8] ストレート・フラッシュ 44-27301 C-11 クロード R. イーザリー 目視 大津[8]
1945年7月26日 津川/鹿瀬阿賀 ストレート・フラッシュ 44-27301 C-11 クロード R. イーザリー 目視
1945年7月29日 舞鶴 ストレート・フラッシュ 44-27301 C-11 クロード R. イーザリー 目視
1945年8月14日 挙母(豊田) ストレート・フラッシュ 44-27301 C-15 チャールズ D. オルベリー レーダー
1945年7月20日 大津北茨城 トップ・シークレット英語版 44-27302 B-8 Charles F. McKnight レーダー 北茨城[9]
1945年7月24日 四日市 トップ・シークレット 44-27302 B-8 Charles F. McKnight 目視
1945年7月26日 いわき トップ・シークレット 44-27302 A-4 Joseph E. Westover 目視
1945年7月29日 宇部 トップ・シークレット 44-27302 B-8 Charles F. McKnight 目視
1945年8月8日 四日市 トップ・シークレット 44-27302 C-11 Claude R. Eatherly 目視
1945年8月14日 挙母(豊田) トップシークレット 44-27302 B-8 Charles F. McKnight 目視
1945年7月20日 平(いわき) ジャビットIII英語版 44-27303 B-6 John A. Wilson レーダー
1945年7月26日 大阪 ジャビットIII 44-27303 A-3 Ralph N. Devore 目視
1945年7月29日 宇部 ジャビットIII 44-27303 B-6 John A. Wilson 目視
1945年8月8日 宇和島 ジャビットIII 44-27303 B-6 John A. Wilson 目視
1945年7月20日 平(いわき) アッパンアトム英語版 44-27304 B-10 George W. Marquardt レーダー
1945年7月26日 浜松 アッパンアトム 44-27304 B-10 George W. Marquardt レーダー 浜松[7]
1945年7月29日 和歌山 アッパンアトム 44-27304 A-5 Elbert B. Smith 目視
1945年8月8日 徳島 アッパンアトム 44-27304 B-9 ロバート A. ルイス英語版 目視
1945年8月14日 名古屋 アッパンアトム 44-27304 C-14 James I. Hopkins Jr, 目視 春日井[8]
1945年7月24日 神戸 グレート・アーティスト 44-27353 C-15 チャールズ D. オルベリー 目視
1945年7月29日 郡山 グレート・アーティスト 44-27353 B-9 ロバート A. ルイス 目視
1945年7月20日 長岡 ビッグ・スティンク 44-27354 A-5 Thomas J. Classen レーダー
1945年7月26日 日立 ビッグ・スティンク 44-27354 A-5 Thomas J. Classen 目視 日立[9]
1945年7月24日 神戸 ネセサリー・イーヴィル英語版 44-86291 C-14 Norman W. Ray 目視
1945年7月26日 柏崎 ネセサリー・イーヴィル 44-86291 C-14 Norman W. Ray レーダー
1945年7月29日 郡山 ネセサリー・イーヴィル 44-86291 C-14 Norman W. Ray 目視
1945年7月24日 神戸 エノラ・ゲイ 44-86292 B-9 ロバート A. ルイス 目視
1945年7月26日 郡山 エノラ・ゲイ 44-86292 B-9 ロバート A. ルイス 目視

アメリカ合衆国国内模擬投下試験・訓練

平行してアメリカ合衆国国内ではパンプキン爆弾の試験・訓練投下が続けられており、ウェンドオーバー航空基地英語版インヨーカン英語版海軍武器試験基地英語版(通称チャイナレイク英語版)およびソルトン湖海軍補助航空施設英語版において試験・訓練投下が実施された。試験・訓練はファットマンが実際に投下される直前まで継続され、X部隊と名付けられたファットマンの投下部隊は、1945年8月4日にウェンドオーバーで投下の試験・訓練を初めて成功裏に終え、そのわずか6日後[注 2]に実戦投下が行われた[10]。ウェンドオーバーでは155発、ソルトン湖の湖上にはやはり150発以上のコンクリート弾パンプキンが投下された[4][11]

脚注

注釈

  1. ^ 作戦報告書に記載された目標地で、必ずしも実際の着弾地とは一致しないものもある。
  2. ^ 日本との時差の関係で5日でなく6日としている。

出典

  1. ^ a b c 菊池 2008, pp. 21–33.
  2. ^ William F. Lightfoot and the “Fat Man” Fireset” (英語). Atomic Heritage Foundation. National Museum of Nuclear Science & History. 2025年8月23日閲覧。
  3. ^ Campbell 2005, pp. 27, 104.
  4. ^ a b Wendover, UT” (英語). Atomic Heritage Foundation. National Museum of Nuclear Science & History. 2025年8月23日閲覧。
  5. ^ Campbell 2005, p. 73.
  6. ^ Campbell 2005, pp. 26–29.
  7. ^ a b c 模擬原爆「パンプキン」静岡県内に3か所投下「姿が残らない人も…」被爆者遺族が語る当時の状況 若者がつなぐ戦後80年 #戦争の記憶”. 日本テレビ (2025年8月14日). 2025年8月23日閲覧。
  8. ^ a b c d 終戦前日まで投下…“原爆の予行演習”で落とされた同サイズの『パンプキン爆弾』訓練で奪われた400人超の命”. 東海テレビ (2025年8月16日). 2025年8月23日閲覧。
  9. ^ a b 《証言 戦後79年》模擬原爆 一発の衝撃 着弾地遭遇、言葉失う 大越勲さん 89歳 茨城・日立”. 茨城新聞クロスアイ. 茨城新聞 (2025年8月12日). 2025年8月23日閲覧。
  10. ^ Campbell 2005, p. 45.
  11. ^ Osborne, Richard E.. “NAAS Salton Sea” (英語). Military Museum. 2025年8月23日閲覧。

参考文献

外部リンク




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