パレードの経路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 14:36 UTC 版)
以下の経路は、「何人かまたは多くの」凱旋将軍のパレードの経路を、現代の研究を元に再現したものである。実際の経路は、ローマ市内の再開発や建物の建築、あるいは凱旋将軍自身の選択によって幾らか変わってくる。出発点はカンプス・マルティウスであるが、ここはローマ市の宗教的な境界線(ポメリウム)の外側にあり、西はティベリス川(テヴェレ川)に接していた。パレードは凱旋門(Porta Triumphalis)を通って市内に入り、ポメリウムを越える。ここで将軍は軍事指揮権を元老院と政務官に返還する。凱旋通り(Via Triumphalis)を通ってカピトリヌスの丘の南側にあるフラミニウス円形広場(英語版)(紀元前221年建設)とウェラブルム(英語版)を通過し、大戦車競技場に向かう。おそらくは、処刑される捕虜はマメルティヌスの牢獄で列から離れたと思われる。そこからメインストリートであるウィア・サクラに入り、フォルム・ロマヌムに至る。最後にカピトリヌスの丘に登ってユピテル神殿に到着する。生贄の儀式と奉納が完了すると、パレードの参加者や観衆は、凱旋将軍が主催する宴会、競技会やその他の催し物に散らばって行った。
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