パスカルと信仰主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/12 21:29 UTC 版)
パスカルによっても、信仰主義が唱えられた。パスカルは無神論の考えを取り入れ、神への信仰は、潜在的な報奨を持ち合わせた無償の選択であるとみなした。 パスカルは神が存在するかどうかは問題にせず、神の存在を真実であると想定することに価値があるかどうかについて述べた。無論、パスカルの命題は特定の神に制限されたものではないが、彼自身はキリスト教の神を前提としていた。以下、そのことが述べられている文章を、彼の著作であるパンセより引用する。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}信仰の理由を説明できないからといって、それで一体誰がキリスト教徒を非難できるというのか。キリスト教徒が自らの信仰を事細かに説明したというのに、人々はそれを"馬鹿げていること"(羅:stultitiam)だと言う。証明できないからといって、不平をこぼすのか。もしキリスト教徒がそれを説明できてしまうなら、彼らはたちまち信仰を失うだろう。彼らが思慮分別のあるのを示すのは、信仰が証明できないものであるからだ。 —パンセ, nº 233 パスカルはさらに、神の存在を示す様々な証明に関して、見当違いであるとして異議を唱えた。もし証明が正しいとしても、証明のために仮定された存在が伝統的に信仰対象であった神とそぐわず、容易に理神論へとつながってしまうのである。
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