バーティー家の勃興
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/08 08:36 UTC 版)
「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の記事における「バーティー家の勃興」の解説
バーティー家の貴族として歴史は、その祖リチャード・バーティー(英語版)(1517?-1582)が古いイングランド貴族であるウィロビー・ド・アーズビー男爵家出身の令嬢キャサリン・ウィロビー(英語版)(1519-1580)と結婚したことに遡る。キャサリンが没すると、男爵位は夫妻の息子ペレグリン(英語版)(1555-1601)が継承した。 ペレグリンの子であるロバート・バーティー(1582-1642)は海軍卿(英語版)を務めた廷臣で、父から男爵位を継承したのち、1626年にリンジー伯爵に昇叙した。彼は式部卿を世襲するオックスフォード伯爵ド・ヴィアー家の女系子孫であったことから、第18代オックスフォード伯ヘンリー・ド・ヴィアー(英語版)の死去に伴って同職を世襲する権利を得た。彼は清教徒革命(イングランド内戦)においては騎士党派に与したのち、1642年にエッジヒルの戦いで戦死したため、爵位は息子のモンタギュー(英語版)(1608-1666)が相続した。 2代伯モンタギューは父同様に騎士党派として行動し、ニューベリーの戦いやネイズビーの戦いに参加している。また彼が後妻ブリジット・レイとの間にもうけた子ジェームズ(英語版)(1653-1699)はのちにアビンドン伯爵に叙されている。
※この「バーティー家の勃興」の解説は、「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の解説の一部です。
「バーティー家の勃興」を含む「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の記事については、「リンジー伯爵 (イングランド貴族)」の概要を参照ください。
- バーティー家の勃興のページへのリンク