バリ南部侵攻作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 14:52 UTC 版)
オランダ軍は陸路での追撃を諦め、艦隊に戻り、バリ島南部へ向けて移動し、パダンバイ港に上陸した。上陸後、オランダ軍はクルンクン王国侵攻を開始した。 同時にオランダ軍はカランガスム国と敵対していたロンボク国との軍事同盟を試み、ロンボク国はこれを了承、ロンボク軍はオランダ艦隊に乗り込み、対ブレレン軍の伏兵となった。オランダ・ロンボク連合軍は、ブレレン軍を追い込み、ジェランティク王とブレレン国のラージャは戦死し、カランガスム国も儀式的な自決を行った。 さらにオランダ軍は、当時ゴア・ラワーとクサンバが支配していたクルンクン王国へ進軍した。気候と病気によってオランダ軍は犠牲を出し、部隊は不安定になった。 クルンクン王デワ・アグン(英語版)の姉妹はオランダ軍にカソンバ(クサンバ)で夜襲をかけ、オランダ軍将軍アンドレアス・ヴィクトール・ミシェル(英語版)の殺害に成功した。オランダ軍は艦隊までの撤退を余儀なくされ、バドゥン、ギャニャール、タバナン、クルンクン王国らのバリ軍兵33000と対戦し、苦戦を強いられた。
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