バトンルージュに対する作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 00:18 UTC 版)
「南部沿岸戦線 (南北戦争)」の記事における「バトンルージュに対する作戦」の解説
1862年5月に北軍の砲艦がニューオーリンズからミシシッピ川を遡りルイジアナ州の州都バトンルージュに達してそこを占領した。北軍は5月29日までに援軍を送りその占領を確実にした。南軍のミシシッピ川東岸の軍隊を指揮していたアール・ヴァン・ドーン少将はバトンルージュを再奪取すれば、ニューオーリンズの回復も可能になると考え、ジョン・ブレッキンリッジ少将が指揮する部隊に川の戦隊を付けてバトンルージュ攻略に向かわせた。8月5日、バトンルージュの戦いが始まり、南軍は一旦北軍を押し込んだが、北軍は川の砲艦が支援できる所まで退いて持ち堪えた。南軍の戦隊はうまく陸の部隊を支援できなかった。 その直後の8月9日、ファラガット提督の戦隊がルイジアナ州ドナルドソンヴィルの町を襲撃した。この町からはミシシッピ川を航行する北部の蒸気船に大砲が撃ち掛けられたことがあり、その報復のためだった。ファラガットは町の前に砲艦を泊めて砲撃し、その後上陸部隊が北軍に対してゲリラ戦を行っている部隊の指導者宅など幾つかの建物に火をつけた。その後は蒸気船に対する砲撃が無くなった(第一次ドナルドソンビルの戦い)。
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