バスク意識の希薄化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/19 16:24 UTC 版)
「バスク系フィリピン人」の記事における「バスク意識の希薄化」の解説
バスク系チリ人やバスク系アルゼンチン人など、ラテンアメリカのバスク系人と比較すると、フィリピンのバスク系人は早くにバスク民族意識を失った。バスク系フィリピン人3世や4世の多くは自らのルーツに気を止めることはなく、ヨーロッパのバスク地方を訪れたことがある者はごく少数である。自らのルーツを漠然と意識している場合でも、バスク人やバスク地方に関する知識や理解を欠いていることが多い。バスク系4世であるアンドニ・F・アボイティスは、「我々はまずフィリピン人であると考え、次にバスク系であると考える」と述べている。バスク系人であることを誇りに思っている場合でも、ルーツについて話すことを好まない者もいる。バスク系アメリカ人の著作家ロバート・ラシャルト(英語版)は、「沈黙はいつだってバスク人の特徴である」と分析した。 バスク系人以外との婚姻もバスク民族意識を弱体化させている要因のひとつである。19世紀にフィリピンにやってきたバスク人はバスク人同士で結婚することが多かったが、続く世代がそれに従うことはなかった。多くのバスク系フィリピン人はスペイン系人やアメリカ系人の配偶者を得ており、メスティソやマレー系人と結婚する者もいた。1898年の米西戦争後にフィリピンがアメリカ合衆国の支配下にはいると、スペインのみならずバスクの影響力も低下した。
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