ハリマウ・ムダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/30 20:36 UTC 版)
ハリマウ・ムダ | |||
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原語表記 | Harimau Muda A | ||
愛称 | ヤング・タイガース | ||
創設 | 2007年 | ||
所属リーグ | Sリーグ | ||
ホームスタジアム | イシュンスタジアム(シンガポール・イシュン区) | ||
収容人数 | 3,400人 | ||
代表者 | ![]() |
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監督 | ![]() |
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コーチ | ![]() |
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ハリマウ・ムダ(別名・ヤング・タイガース)とは、シンガポールサッカー・Sリーグに参加するマレーシアのクラブチームである。
概要
2007年にマレーシアサッカー協会が23歳以下(夏季オリンピック代表相当)の若手選手の育成・強化を念頭に結成し、マレーシアサッカーリーグの2部「プレミアリーグ」に加盟し、加盟2年目の2009年にプレミアリーグに優勝。2010年にはマレーシアスーパーリーグ(1部)に昇格する権利を得るもそれには参加せず、スロバキアで8ヶ月の強化キャンプを組むと共に、招待参加という形でスロバキアリーグ(所属ランク不明)にも参戦したことがある。2011年にはスーパーリーグに「復帰」して14チーム中5位。
その年、マレーシアサッカー協会とシンガポールサッカー協会はそれぞれの23歳以下を軸とした若手選手育成のため、2012年から相互に国内リーグへ参加することを発表し、マレーシアからは当チームが派遣されることになった。なお、マレーシアリーグにはそのサテライト相当の19歳以下を中心としたBチームが参加している。名目上「23歳以下」「19歳以下」が基本とはなっているものの、必ずしもその国の年齢別代表ナショナルチームではなく、マレーシア協会が運営する若手育成のためのクラブチームという位置づけである。
なお、2013年はSリーグ参加のAチームが同世代が出場する東南アジア競技大会のナショナルチーム強化の観点から、それに参加することを見送り、代わって19歳以下のBチームがSリーグに派遣された[1]
本拠地はマレーとの国境に近いシンガポール北部の都市イシュンにある「イシュンスタジアム」を使用する。
出典
- シンガポールサッカーの探求「【Sリーグ・クラブ紹介⑨】ハリマウ・ムダ Harimau Muda」(2012年3月13日 同6月12日閲覧)
- 同上「シンガポール・ライオンズXIIとマレーシアリーグ」(公開・閲覧日同上)
- アルビレックス新潟シンガポール公式サイト・チーム紹介(閲覧日同上)
- 【Sリーグクラブ紹介】Part.11/ハリマウ・ムダB(2013年2月24日)
- ^ 【Sリーグクラブ紹介】Part.11/ハリマウ・ムダB(2013年2月24日)より
関連項目
- ヤング・ライオンズ(Sリーグ参戦)
- シンガポール・ライオンズXII(マレーシア1部リーグ参戦)
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ハリマウ・ムダ
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「ゲイリー・スティーブン・ロバット」の記事における「ハリマウ・ムダ」の解説
2008年、ブキット・ジャリル体育学校から新生されたハリマウ・ムダに入団。ハリマウ・ムダが2チームに分かれるとハリマウ・ムダAに所属した。2010年にハリマウ・ムダAはスロバキアのズラテー・モラフツェに8ヶ月のトレーニングキャンプに行き、3月30日に彼とムスリム・アマドは現地のFC ViOnズラテー・モラフツェのトライアルを受けた。ズラテー・モラフツェの監督のリュボミール・モラフチクは2010-11シーズンの彼らとのプロ契約を約束したものの、実際には移籍とならなかった。2011年にはマレーシア・スーパーリーグをハリマウ・ムダAは5位で終え、2012年には同クラブがSリーグに参戦し、このシーズンを4位で終えた。2013年には再びスロバキアでの集中トレーニングを行った。2014年にはオーストラリアのクイーンズランド州リーグに参戦した。彼はレッドランズ・ユナイテッドFCから得点を奪ったものの、チームは3-2で敗北した。
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