ハミルトン・ハイドロリック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/17 09:09 UTC 版)
「ハミルトン (オハイオ州)」の記事における「ハミルトン・ハイドロリック」の解説
ハミルトン・ハイドロリック、またはハミルトン&ロスビル・ハイドロリックともよばれる水力発電所は、商店や工場に水力エネルギーを供給するために考案された。発電所は市の絶頂期の一つであった1840~1860年、産業の成長、人口の増加にさらに拍車をかけた。将来の産業の動力源として、ハミルトンの北を流れるグレートマイアミ川から人工的に造られた水路と天然のため池を通して市内に取り込んだ。 発電所は市から約4マイル北の川沿い、水を発電所に送るためのダムが建設された場所で操業を開始した。すぐ近くには2つのため池が水を湛えており、そこから水路が北5番ストリート(現在のマーケット・ストリート)に沿って南へと続いていた。水路はその後鋭く西へ曲がり、マーケット・ストリート、ノースモニュメント・アベニューの交差点付近、かつてハミルトン市役所があった場所と、現在のマリオットのホテルとの間で川に注いでいた。この水路に最初水が通ったのは1845年1月のことだった。発電所の建設が始まった1842年には、水路沿いには電力を使う施設は無く、計画はリスクを孕んでいた。だがこの賭けに成功した。数軒の小さな工場が1840年代に建てられた。その一つがベケット・ペーパー社である。 1870年代に据付スチームエンジンが手頃で実用的になっても、水力はハミルトンの産業の主要な動力源であった。第1次世界大戦後、トラクターの工場用地を探していたヘンリー・フォードの目は水力発電所のあったハミルトンに向けられた。フォード社は発電所から供給される電力を利用できる市の北端、北5番ストリートに工場を建設したが、間もなく工場は自動車部品の生産に切り替えられた。 ロスビル水力発電所もまた建設されたが、ハミルトン水力発電所ほどの成功を収めることはできなかった。
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