ノーベル生理学・医学賞と北里柴三郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 15:48 UTC 版)
「エミール・アドルフ・フォン・ベーリング」の記事における「ノーベル生理学・医学賞と北里柴三郎」の解説
1901年 「ジフテリアに対する血清療法の研究」で第一回ノーベル生理学・医学賞を受賞。受賞に際し、自分だけの功績ではなく、共同研究者の北里柴三郎あっての結果であることを述べたとされる。北里が受賞できなかったのは、ジフテリアについてのデータをベーリング単独名の論文で発表したこと、ノーベル委員会や選考に当たったカロリンスカ研究所が血清療法のアイディアはベーリングの創出で北里は実験事実を提供しただけと見なしたこと、賞創設後最初の選考で後のような共同授賞の考え方がまだなかったことが理由として挙げられているほか、東洋人の北里に対する人種差別が原因であったとも言われるが、ノーベル賞選考委員会はこれを否定している。
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