ノリクム征服
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/06/15 07:28 UTC 版)
バイエルン地方は、古代においては他の南ドイツ地域と共にローマ帝国の占領下にあった。そもそもこの地域はゲルマン系勢力の影響下にはなく、バイエルンもケルト系のノリクム王国により治められていたが、紀元前16年にイリュリクム総督プブリウス・シリウスにより滅ぼされ属州ノリクムとして併合された。地理的に本土から近かったノリクムには多くのイタリアの住民が入植しラテン化が進められていった。 数百年の長きにわたってローマの統治を受けたノリクムであったが、帝国の東西分裂や西ローマの崩壊などで混乱の時代を迎える。東方からフン族やアヴァールなどの遊牧民族がヨーロッパに侵入した影響による動乱期のノリクムに、スカンジナビア半島やユトラント半島から南下したゲルマン人によるゲルマン人の大移動に乗じて肥沃な大地を目指して西進を開始したバイエルン人が入り込んだのである。元よりラテン系やケルト系と深い繋がりを持つバイエルン人は無理なくノリクムへの定住に成功し、その地は彼らの名を取って「バイエルン」と呼ばれるようになった。ゲルマン系のランゴバルド人やゴート人などの民族や、スエビ系諸族や東方からのテュルク系ブルガール人ら異民族がイタリアやガリアに積極的な領土欲を見せる中、バイエルン人は得た土地を守る事に腐心した。
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