ノビリオルの戦役(前153年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 14:45 UTC 版)
「ヌマンティア戦争」の記事における「ノビリオルの戦役(前153年)」の解説
紀元前153年に、ローマはクィントゥス・フルウィウス・ノビリオルの指揮のもとに約3万の兵力をヒスパニアに送った。セゲダの城壁はまだ完成していなかったため、セゲダ人は町を引き払って同じケルティベリア人であるアレワキ(英語版)人のもとに逃げた。アレワキ人は同盟を承諾し、カルスを将軍に選んだ。 将軍選出の三日後に、カルスは2万の歩兵と5千の騎兵をもって待ち伏せを行ない、行軍中のローマ軍を攻撃して破った。追撃中のカルスは、補給部隊を護衛していたローマ騎兵と遭遇し、戦死した。その当夜、アレワキ人はヌマンティアに集まってアンボとレウコを将軍に選んだ。 三日後にノビリオルはヌマンティアのそばに到着した。ヌミディア王マシニッサは、ローマを援けるために300の騎兵と10の象を送ってよこした。ノビリオルは象で町を攻めようとしたが、負傷した象が暴走して味方を攻撃し、混乱したところをケルティベリア軍に攻撃されて敗走した。 ノビリオルは騎兵将校ビエシウスを派遣して周辺の友好部族から騎兵を集めさせたが、ビエシウスも待ち伏せされて戦死した。相次ぐ敗報に、ローマの補給倉庫があったオキリスの町がケルティベリアについて反乱した。ノビリオルは行動継続を断念して冬営したが、物資の不足で多数の犠牲を出した。
※この「ノビリオルの戦役(前153年)」の解説は、「ヌマンティア戦争」の解説の一部です。
「ノビリオルの戦役(前153年)」を含む「ヌマンティア戦争」の記事については、「ヌマンティア戦争」の概要を参照ください。
- ノビリオルの戦役のページへのリンク