ネットワークの実験
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/14 02:55 UTC 版)
「ARPANET」の記事における「ネットワークの実験」の解説
サザランドとテイラーはそのようなコンピュータネットワークを構築することに関心を持ち続け、ARPAが資金提供しているアメリカ各地の様々な企業や大学の研究者たちがARPAの資金で開発されたコンピュータ群にアクセスできるようにし、ソフトウェアなどの計算機科学の成果を素早く広めたいと考えていた。テイラーのオフィスには3つのコンピュータ端末があり、それぞれ別々の(ARPAが資金提供した)コンピュータに接続されていた。1つはサンタモニカの System Development Corporation (SDC) にあるAN/FSQ-32、2つめはカリフォルニア大学バークレー校のProject GENIE、3つめはMITのMulticsである。これについてテイラーは後に次のように回想している。 「この3台の端末はそれぞれユーザーコマンド群が異なっていた。だから私が S.D.C. の誰かとオンラインで話をしていて、バークレーあるいはMITの誰かと話したいとき、S.D.C. との端末から離れて、別の端末にログインして連絡する必要があった。(中略)何をするのかは明らかだが、私はそんなことをしたくない。インタラクティブ・コンピューティングが可能なら、1つの端末でどこにでも接続できるべきだ。このアイデアが ARPANET だ」 1964年にリックライダーがIPTOの部長を退いた後、彼の役職を継いだサザランドはリックライダーが提唱したコンピュータネットワークの実験を行ってみる事にした。1965年にUCLAの2つのコンピュータをネットワークで接続してみる事になったが、この実験は通信方式に問題があったために失敗した。
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