ニーニョス・エロエスに関する伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/03 17:19 UTC 版)
「ニーニョス・エロエス」の記事における「ニーニョス・エロエスに関する伝説」の解説
彼らが戦いで最後に死んだ者だったとか、弾が尽きたために銃剣でアメリカ兵を突き刺したとか、後世多くの詳細な逸話が加えられたが、その多くは歴史的な裏付けを持たない。 もっとも普及している伝説は、彼らが少年であったというものである。現代的に考えれば彼らは青年である。さらに当時の男性は15歳で結婚して家庭を持つことも珍しくなかった。 第2の伝説はフアン・デ・ラ・バレラまたはフアン・エスクティア(2名のどちらであるかは文献によって異なる)が自殺したとするものである。後者とするものが一般的だが、それによればフアン・エスクティアは軍事学校の上にひるがえるメキシコの国旗に身をつつんで身投げし、アメリカ人の手に国旗が渡ることを妨げたとする。メキシコの歴史において大変象徴的な話ではあるものの、現実には国旗はアメリカ人に奪われたのであり、ウェストポイントの陸軍士官学校に戦利品として置かれていた。後に1952年になって(アルタル・ア・ラ・パトリアの落成と同時に)他のメキシコ国旗とともにメキシコに返却された:2744-2745。 1878年の記念式典においてマヌエル・ラス・グスマンがチャプルテペクの戦いに先だつ9月8日のモリノ・デル・レイの戦いを記念する叙事詩を発表したが、そこでアグスティン・メルガル(フアン・デ・ラ・バレラでもフアン・エスクティアでもなく)が国旗をまとって胸を侵入者の弾丸の前に曝したと歌っており、伝説は明らかにこの叙事詩に由来する。
※この「ニーニョス・エロエスに関する伝説」の解説は、「ニーニョス・エロエス」の解説の一部です。
「ニーニョス・エロエスに関する伝説」を含む「ニーニョス・エロエス」の記事については、「ニーニョス・エロエス」の概要を参照ください。
- ニーニョスエロエスに関する伝説のページへのリンク