ニューサウスウェールズ州とビクトリア州
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/24 21:07 UTC 版)
「オーストラリアの地域対立」の記事における「ニューサウスウェールズ州とビクトリア州」の解説
オーストラリアのライバル関係で最も有名なのは、シドニーを中心とするニューサウスウェールズ州とメルボルンを中心とするビクトリア州のライバル関係が有名である。1851年にバララットで金鉱が発見されたのを機に人口が急増するとニューサウスウェールズ州から独立してビクトリア州が成立し、それ以後のゴールドラッシュによってビクトリア州はオーストラリアで最も豊かな州になり、オーストラリアの中心もシドニーから当時、イギリス本土との航路で近距離だったメルボルンに移った。この頃からニューサウスウェールズ州とビクトリア州の伝統的な地域対立が生じ、首都においても双方相譲らない状態が続いた。1901年にオーストラリア連邦が成立するとメルボルンが臨時首都に選ばれるものの1927年にキャンベラが正式な首都となった。しかし首都機能移転は遅々とし実際のオーストラリアの中心はシドニーとメルボルンからなかなか機能移転できなかった。オーストラリアの高等裁判所がメルボルンからキャンベラに移ったのは1980年になってからである。またシドニーとメルボルンの鉄道開通は1883年に開通したものの両州の鉄道軌間は違い州境のオルベリーとウォドンガで乗り換えが必要だった。直通運転が開始されたのは1962年になってからである。
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