ニコーラの生涯と活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/13 00:40 UTC 版)
「ニコーラ・オルシーニ」の記事における「ニコーラの生涯と活動」の解説
ニコーラは1317年、父ジョヴァンニの死去に伴いケファロニア宮廷伯領を相続した。翌1318年、ニコーラは一族がそれまで潜在的に有していたイピロスへの要求を大胆な形で実現させる。彼は当時の専制公、ソマス・ドゥカスをヨアニナで暗殺してしまう。ニコーラは自らの血縁(彼の母マリアはニキフォロス1世の娘であり、すなわちソマスの姉妹であった)に加え、ソマスの未亡人アンナ・パレオロギナ(東ローマ皇帝ミハイル9世パレオロゴスの娘)を妻に迎えたことを根拠として専制公に就任する(正式な就任は1319年頃)。ニコーラのソマス暗殺が成功した背景の一つとして、アンナが、若年の上に強力なリーダーシップを発揮し得なかった夫ソマスに飽き足らなくなっており、ニコーラの暗殺を手引きしたという説がある。 しかし、叔父の殺害と権力奪取から5年後の1323年、ニコーラは弟ジョヴァンニによって暗殺された。 (本項目の表記は中世ギリシア語の発音に依拠した。古典式慣例表記については各リンク先の項目を参照。また国号については「専制公国」とした) 先代: トーマース(ソマス・ドゥカス) イピロス専制公 1318年 - 1323年 次代: ジョヴァンニ2世オルシーニ
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