ニコライ・アファナシエフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > 作曲家 > ロマン派の作曲家 > ニコライ・アファナシエフの意味・解説 

ニコライ・アファナシエフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/26 18:43 UTC 版)

ニコライ・アファナシイェフ
Николай Афанасьев
基本情報
生誕 (1820-12-31) 1820年12月31日
ロシア帝国トボリスク
死没 (1893-06-03) 1893年6月3日(72歳没)
ロシア帝国ペテルブルク
ジャンル ロマン派
職業 ヴァイオリニスト作曲家

ニコライ・ヤコヴレヴィチ・アファナシイェフロシア語: Никола́й Я́ковлевич Афана́сьев, ラテン文字転写: Nikolay Yakovlevich Afanas'yev, 1820年12月31日 トボリスク1893年6月3日 ペテルブルク)は、ロシアヴァイオリニスト作曲家

略歴

ヴァイオリニストでイヴァン・ドルゴルコフの私生児であった父ヤコヴ・イヴァノヴィチより音楽教育を受ける。

1838年モスクワにおいてヴァイオリニストとしてデビューする。1838年ボリショイ劇場附属管弦楽団コンサートマスターに任命されるが、1841年に辞任して、ペテルブルク近郊ヴィクサの富裕な地主農奴オーケストラの指揮者に転向した。1846年に辞職し、ロシア国内での演奏旅行にとりかかる。1851年にペテルブルクに定住すると、イタリア歌劇団の演奏家やコンサートマスターとして演奏を続けた(時には指揮者も務めている)。1853年にオーケストラの活動を止めて、スモーリヌィ女学院でピアノ教師として勤めだしたが、1857年には西欧に演奏旅行を行い、まずまずの成功を収めた。

ロシアに戻ると作曲活動に没頭した。正規の音楽教育を受けなかったために、技巧面で不調和に陥りがちではあるものの、小品の分野で最大の美点を発揮している。中でも、ロシアの民族音楽旋律リズムに触発された作品群で称賛を浴びた。民族音楽に対する永続的な関心から、ロシア民謡を混声四部合唱に編曲した曲集を1866年に出版して、人気を集めた。室内楽では、弦楽四重奏曲《ヴォルガ河》(1860年)も同じく賞賛され、翌1861年ロシア音楽協会から受賞した。歌劇は、対照的にさほど熱狂的な評判を呼ばなかった。1870年マリインスキー劇場が《 Ammalat-bek 》を舞台化したものの、その後に再演されることはなかった。《ステンカ・ラージン》は検閲を通過することができず、一方の《Vakula-kuznets》は全く上演されなかった。それ以外の7つのオペラや管弦楽曲の自筆譜は、出版に回されていない。

アファナシエフの回想録『想い出の記』は、1890年に出版され、旅する演奏家としての経験を、部分的には19世紀半ばのロシアの音楽界を俯瞰するものとして書き残している。歿後の1896年には、ロシア音楽協会の名誉会員に選ばれた。

参考文献

  • Spencer, Jennifer. "Afanas'yev, Nikolay Yakovlevich". Grove Music Online (subscription required). ed. L. Macy. Retrieved on March 17, 2007.

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ニコライ・アファナシエフ」の関連用語

ニコライ・アファナシエフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ニコライ・アファナシエフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのニコライ・アファナシエフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS