ナイトウィッシュの一員として
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「ターヤ・トゥルネン」の記事における「ナイトウィッシュの一員として」の解説
ナイトウィッシュが国内でヒットしたことで知名度が上がり、フィンランドのバンドであるワルタリのプロデュースでフィンランド国立オペラにて上演されたモダン・バレエ『Evankeliumi (Evangelicum)』(1999年)にソリストとして参加した。 バンドが活動を休止した2001年、カールスルーエ音楽大学に入学。在学中もアルゼンチンのベーシストであるベト・ヴァスケスのアルバム『インフィニティ』(2002年)に参加。さらに『Noche Escandinava (Scandinavian Night)』と題してクラシックのコンサート・ツアーを行うなど、音楽活動の幅を広げていく。 2003年にはフィンランドの独立記念日にタルヤ・ハロネン大統領主催で催されたパーティに招かれて夫とともに出席。このパーティは国内最大級の社会的行事であり、テレビ局YLEの視聴者からベスト・ドレッサーに選出されるなど各メディアを飾ることとなった。 アルバム『ワンス』に伴う1年半に及ぶツアーに先駆け、『Noche Escandinava II』として再びツアーを行う。これは2002年の『Noche Escandinava』が好評だったのを受けて行われたもの。ツアーの模様は2005年にCD化された。 2004年末に初のソロ・シングル『Yhden Enkelin Unelma (One Angel's Dream)』を発売し、母国フィンランドでプラチナディスクの売り上げになる。 2005年、ドイツの歌手 Martin Kesici とデュエットした『Leaving You for Me』を発表。3月にはナイトウィッシュとして初来日ツアーを行った。 同年10月、ナイトウィッシュから解雇される。公式ホームページで公開されている他のメンバーからトゥルネンに宛てた書簡によれば、バンド活動における姿勢や傲慢さ、熱意の無さが許容できなくなり、他のメンバーとの心の溝が広がりすぎてしまったためであるとされている。トゥルネンはこれに対し自分が手紙の中で語られているような人間ではないと反論し、この問題の原因であるかのように夫を引き合いに出すのは間違っている、とした。
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