デムーランとの結婚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/02/12 15:01 UTC 版)
「リュシル・デュプレシ」の記事における「デムーランとの結婚」の解説
やがて2人は、1790年12月29日にサン=シュルピス教会で結婚式を挙げ、ここに7年越しの恋を成就させた。1789年7月、ネッケルが罷免された際、パレ・ロワイヤル広場で民衆の蜂起を訴えたデムーランは、以後革命期のジャーナリストとして名を上げ、リュシルの父親から、ようやく交際を認められていたのである。結婚式には、夫デムーランの友人、ロベスピエールやブリッソーなども招かれた(この2人は、それぞれ後のジャコバン派・ジロンド派指導者である)。 1792年7月6日には、結婚後初めての子供であるオラスも誕生した。名付け親はロベスピエールであり、彼とデムーラン一家との親密な交際は、サン=ジュストの勧めによって夫カミーユが逮捕されるまで続いた。また、リュシルの実の妹であるアデルは、一時ロベスピエールに仕えていたこともあった。 夫や、その友人である革命家達と付き合いを重ねていくうち、リュシル自身もジャコバン派の思想を深く理解し、信奉するようになった。また夫デムーランが憎んだ反革命派・過激派などを同じように深く憎み、家庭内ではこれ以上ないほどの内助の功を発揮して、革命家デムーランを影でよく支えた。
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