デビュー - 「夏の上がり馬」へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 15:50 UTC 版)
「ナイスネイチャ」の記事における「デビュー - 「夏の上がり馬」へ」の解説
1990年12月1日、京都開催の新馬戦でデビュー。初戦は後方から、最後の直線で進路が塞がる不利を受けながら僅差の2着に追い込んだ。2週間後の2戦目で1番人気に応え初勝利。年明けから春のクラシック出走を目指したが、福寿草特別でシスタートウショウの6着、若駒ステークスでトウカイテイオーの3着と勝ち上がれず、骨膜炎も発症して休養に入り、クラシックの皐月賞や東京優駿(日本ダービー)には出走できなかった。 7月に中京開催で復帰。緒戦を2着としたのち、小倉に転戦して条件戦を2連勝した。8月末に小倉記念で重賞に初出走、古馬(5歳以上馬)の重賞勝利馬を抑えて1番人気に支持されると、当時としては優秀な上がり3ハロン34秒6を計時し、ヌエボトウショウに2馬身差を付けて重賞初勝利を挙げた。春のクラシック二冠を制したトウカイテイオーが故障で戦線を離脱した後で、ナイスネイチャはクラシック三冠最終戦の菊花賞に向けた最大の「夏の上がり馬」となった。1カ月半後には菊花賞トライアルの京都新聞杯に出走。前年の関西3歳王者イブキマイカグラに次ぐ2番人気の支持を受けた。レースでは中団待機から、直線で進路をなくす不利を受けつつも、態勢を立て直してからは前で競りあうイブキマイカグラとシャコーグレイドを一気に交わし、両馬に3/4馬身差を付けて勝利した。
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