デビュー前 - デビュー後 - WJプロレス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 18:01 UTC 版)
「中嶋勝彦」の記事における「デビュー前 - デビュー後 - WJプロレス」の解説
5歳から母子家庭で育った。小学校3年生より璞名館で空手を始め、中学1年生の時に全国空手道大会(極真会館松井派主催)で優勝する。この頃前田日明の目に留まり、卒業後のリングスへ入団を約束されるがそれを待たずにリングスは解散となった。 2002年12月、中嶋は長州力率いるWJプロレスにスカウトされ入門、親孝行したいというのが入門の動機であった。2003年9月、WJ主催の総合格闘技興行X-1でプロデビューを飾り、金網バーリトゥード戦でジェイソン・"ゴールデンボーイ"・レイに勝利する。2004年1月、後楽園ホールの石井智宏戦でプロレスデビューした。中嶋はこのとき15歳9か月であり、男子では史上最年少デビューのプロレスラーとなった。 しかし2004年3月、WJ崩壊に伴い中嶋も退団となった。母子家庭の中嶋にとっては、WJに「保険制度(保険会社の保険を指すのかプロレス興行会社としての負傷欠場中の保険=生活補償金を指すのかは不明)」が無いことが退団原因の1つであった。中嶋は一旦実家に帰ったが、元WJの佐々木健介に弟子入りした。
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