翟義
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翟 義(てき ぎ、? - 7年)は、中国の前漢時代末期の政治家・武将。字は文仲。豫州汝南郡上蔡県の人。父は丞相となった翟方進。兄は翟宣。
- ^ 以下、特に注釈がない場合、出典は、『漢書』翟方進伝
- ^ 『漢書』翟方進伝
- ^ a b c d e f g 『漢書』王莽伝上
- ^ 『漢書』元后伝
- ^ 『王莽 儒家の理想に憑かれた男』p.164
- ^ この会話は、居摂元年(6年)に行われた可能性もありえる。
- ^ 哀帝の時代に、呪詛の罪で投獄され、自害した東平王劉雲の子。
- ^ a b c d e f g h i 『漢書』王莽伝上及び『漢書』翟方進伝
- ^ a b 『王莽 儒家の理想に憑かれた男』p.166
- ^ 『漢書』王莽伝上では、この時には将軍に任じられ、西へ向かったとしているが、『漢書』翟方進伝では兄の王邑が西への討伐に向かった後、居摂3年(8年)正月に、揚武将軍に任じられ、西へ向かったとしている。
- ^ しかし『漢書』巻15下王子侯表下には、経過は不明だが、「兵敗死」とあるため、死亡は確認されたと思われる
- ^ 益州の蛮夷による反乱のこと。
- ^ 王莽が口癖のように言う言葉に「制礼作楽」がある。略して「制作」ともいうが、礼の制度化によって社会を等級づけて秩序あらしめることが「政礼」。「作楽」は「音楽を作(おこ)す」ことで、(中略)、淳風美俗の醸成に音楽を有効なものとして活用しようとすることである。『王莽 儒家の理想に憑かれた男』p.137
- ^ 『漢書』王莽伝上では、列侯と附城を含めて数百人としているが、『漢書』翟方進伝では列侯だけで395人としている。
- ^ 渡邉義浩は「儒教経典のなかで、唯一、爵位を五等、封地を四等に分ける五等爵制を説く『孟子』は、天子・公・侯・伯・子男という五等を説く。しかし、王莽は、自らが安漢公であるために「公」を省き、侯・伯・子・男・「附城」という五等を上奏している。安漢公の地位が唯一無二であることを経義よりも優先しているのである。典拠の『孟子』に従いきれていないところに、漢における自己の権力確立を第一とせざるを得なかった莽新建国以前の王莽の現実への妥協を見ることができよう」と論じている。『王莽―改革者の孤独』p.120-121
- ^ 『王莽―改革者の孤独』p.103
- ^ 翟義の母として処刑された練という名の人物だと思われる。
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