テアントンタラゴ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:48 UTC 版)
この作戦の最後の行動は9月27日のことだった。サリバンはクリントン旅団の一部を第3ニューヨーク連隊のピーター・ガンズヴォート大佐の指揮でスタンウィックス砦を経由して冬季宿営地に直接戻るように派遣した。スタンウィックス砦を発ってから2日後、スケネクタディ川の水源近くで、この分遣隊は「南モホーク城塞」と呼ばれるテアントンタラゴ(他にシエンデレゴ、ティオノンドラーゲ、ティオノンデロガとも呼ばれた)で停止し、「モホーク族の男性全てを捕らえる」という命令を実行した。ガンズヴォートは「ここのインディアンはモホーク川地域の農夫大半より良い生活をしており、その家屋には家事に必要な器具、大量の穀物、何頭かの馬、牛、荷車と全てが整っていた。」と記した。モホーク族男性たちはオールバニで投獄され、1780年になってから釈放された。 大陸軍はこの作戦で、モホーク族から家屋を没収した。土地の白人入植者はイロコイ族の襲撃で家を失っており、ガンズヴォートに彼らの家を代わりによこすよう求めた。「南モホーク城塞」のモホーク族は全てイギリス側に付いて戦うことを拒み、多くの者はアメリカ独立政府を支援していたので、当時大陸会議のニューヨーク代表だったフィリップ・スカイラーはガンズヴォートの行動も、家を渡すことも批判した。スカイラーはワシントンが個人的にこの遠征の指揮を執らせようと考えた将軍だったが、スカイラーが大陸軍北方方面軍指揮官を解かれたことで、その任務を引き渡せるまで軍隊に奉仕していた。スカイラーは1779年に指揮官職を辞任していた。
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