チャールズ・ハレ:生徒になりかける(1836年)
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「フリードリヒ・カルクブレンナー」の記事における「チャールズ・ハレ:生徒になりかける(1836年)」の解説
独、英国系のピアニスト、指揮者でハレ管弦楽団の創始者であるチャールズ・ハレは、17歳の少年期にカルクブレンナーの元を訪れレッスンについて問い合せた。当初、彼は本気でカルクブレンナーの弟子になりたいと思っていたのであるが、その有名人に実際出会うと気持ちが変わってしまった。 カルクブレンナーとフンメルは当時偉大なピアニストであると認知されていたし、数年前にはショパンすらカルクブレンナーに弟子入りしたいとパリを訪れていた。だから私は非常にビクビクしながら彼に会いに行って、彼にもう弟子を取るつもりはないといわれた時は大きなショックを受けた。しかし、彼は私に何か弾いてみろと言って、その演奏に注意深く耳を傾けた後、私に何点か不快な指摘をして彼の弟子の一人のレッスンを受けた方がいいと助言してきた。私が帰ろうとする頃、彼は参考になるだろうからと言って演奏して聴かせてくれるという。私は是非にとお願いし、彼が座って自作を弾き始めるのをワクワクして見ていた。しかし"Le Fou"というその作品はこれまでの中でもいかにもありがちで凡庸の極みだった。私は彼のスケールやレガートの華麗さと美しさを賞賛しはしたものの、それ以外には期待以下だった彼の演奏に惹かれる要素はなかったし、ミスタッチをいくつか見つけて不思議に思っていた。
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