チェルディッチの末裔による短期在位
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「ウェセックス王国」の記事における「チェルディッチの末裔による短期在位」の解説
673年にチェンワルフが死去すると妻サクスブルフが一年王位に就いた。そして次にチェウリンの兄弟の血筋となるエシュウィネが就く。このようにウェセックスの王位はチェルディッチにつながる男系子孫の流派から流派へと移譲される事がしばしばあった。このような政権交代は本当に起きていた事なのか、王権の移譲をチェルディッチからの血統という正当性を後付で誇示する必要性から生じたものなのかは不明である。 いずれにせよ、エシュウィネの治世は2年間続き、676年には王位はチェンワルフの家系へと戻り、チェントウィネが王となった。彼はブリトン人と戦った事は分かっているが、詳しい内容は消失してしまっている。 チェントウィネの後、遠縁の縁者と思われ、またチェウリンの子孫と名乗るキャドワラが王位に就いた。キャドワラの治世は2年間だったが、サセックス、ケント、ワイト島に進攻、ケントを征圧した後にすぐに、またサセックスも続いて独立を許してしまうが、ウェセックス領を大幅に拡大した。彼は688年に退位、ローマへ巡礼の旅に出かけた。そこでキャドワラはローマ教皇から洗礼を受け、すぐに死去したと言われる。
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