タペストリーの収集経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/04 21:30 UTC 版)
「ヴァヴェル城のタペストリー」の記事における「タペストリーの収集経緯」の解説
コレクションの、最初のタペストリーは、女王ボナ・スフォルツァの、結婚式の持参品としてもたらされた。その後、1526年と1533年には、ジグムント一世が、アントウェルペンやブルッヘで織られたそれを、108枚注文した。しかしながら、タペストリーのほとんどは、ジグムント二世により製作を依頼されていたのであって、これらはブリュッセルの職人、ウィリアム・ジャン=ド=ケンペナー両名によるものであったと、Jan van Tieghem氏およびNicolas Leyniers(1550-1565)氏はいう。 当初、同コレクションのうち、約170のタペストリーがあった。それらのうち、文字「SA」と刺繍した84の白黒のものがあった。また、8のタペストリーは、ジグムント一世がマクシミリアン一世から贈られたものである。残りのタペストリーは、異国の代表団らから贈られたものである。 贈り物には、1560年代に製作され、ポーランド王国章が刺繍されているもの1つ、コルツァック紋章の隣に文字「CKCH(Christophorus Krupski Capitaneus Horodloの頭文字)」が刺繍され、詩文「SCABELLVM PEDVM TVORVM(the footstool under your feet, Psalm 110, A Psalm of David)」が施されたもの、Krzysztof Krupskiからの贈り物等が含まれる。
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