セルビア首相として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/15 00:33 UTC 版)
「ヴォイスラヴ・コシュトニツァ」の記事における「セルビア首相として」の解説
同年12月28日にセルビア共和国議会選が行われ、コシュトニツァのセルビア民主党は、極右セルビア急進党に次ぐ第2党に躍進した。これによりセルビア民主党は連立工作の中心に立ち、2004年3月3日、コシュトニツァ党首は首相に選出された。 2008年2月17日のコソボ独立には断固として反対姿勢を貫いたが、閣内は連立相手のボリス・タディッチ大統領率いる民主党(セルビア民主党とは異なる)の独立への反対姿勢が十分ではないなどまとまらず、EU(欧州連合)加盟をめぐってもタディッチと意見が対立したことを理由に同年3月8日に辞意を表明。10日には連立解消を正式に決定した。同年5月11日に総選挙(en)が行われ、コシュトゥニツァ率いるセルビア民主党は議席数を減らす結果となった。セルビア民主党はセルビア急進党、セルビア社会党との連立を模索したものの、セルビア社会党はタディッチ率いる民主党との連立を決め、コシュトゥニツァ率いるセルビア民主党は野党となった。
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