セカンドウィンドAC所属時代
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「吉田香織」の記事における「セカンドウィンドAC所属時代」の解説
心機一転を図るために2007年4月1日、前資生堂ランニングクラブ監督の川越学が設立したセカンドウィンドAC(SWAC)に移籍。 2007年9月9日に行われた北海道マラソンでは、前年優勝者の特別ゲストとして、小倉智昭らと共に所々でレース解説を担当(女子優勝者は同SWAC所属の加納由理)。なお北京オリンピックの女子マラソン代表は、2008年3月9日に行われる名古屋国際女子マラソンで代表選出を目指す、とその席で公言していた。 その名古屋国際女子マラソンの本番では、レース中盤まではスローペースの先頭集団についていたが、両足のマメが潰れ出血するアクシデントの影響により28km地点を過ぎてから脱落、当時の自己記録をマークをしたが12位に終わった。 2009年世界選手権代表選考を兼ねた、2008年8月31日に行われた北海道マラソンに出場。2年ぶりの優勝を目指して出走したが、レース前半で優勝した佐伯由香里(アルゼAC)らのペースについていけずに後退、中盤から徐々に追い上げたものの、結局3位に留まった。 2008年12月14日のホノルルマラソンは、招待選手として出場しペースメーカーをつとめた。そして同SWAC所属で優勝した嶋原清子に次いで2位のゴール。同マラソンでは初めて日本女子のワンツーフィニッシュを達成した。 2009年1月25日の大阪国際女子マラソンにも招待選手で出場したが、体調不良により5km地点を過ぎた後途中でリタイアとなった。
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